10/4 09関西学生ボディ

10月4日、阪南大学にて09年関西学生ボディが行われました。京都大学バーベル部からは、4回・黒川直樹が 出場し、見事、優勝しました。以下、黒川によるレポートです。

5月にあった関西学生パワーで4位という期待したとおりの結果を出せず、しかもデッドの試技で膝を痛めてしまう結果となってしまった。 新型インフルエンザのために試合が延期となり、これ幸いとなんとか復帰しようとスクワットを再開したとたん、今度は腰を痛めてしまう始末。 めげそうになったものの、はまってしまったトレーニングはやめられず、怪我に問題のない種目を中心にやっていた。 学生は終わりだから今度は一般の記録を狙おうと、軽量級への変更のために月1キロのペースで体重を減らしてはいた。  

そのように過ごしていると、8月の最後に岡田初代主将から連絡があった。 「10月4日に関西学生ボディがあるから、トレーニングの指導に行くわ」 岡田さんのなかでは私のボディ参戦は決まっているらしい。確かにそれまでもご指導に大学にいらっしゃってはいたのだが… 「君のバルクなら関西はもちろん、全国でも通用するで。楽しみにしているわ」 退路は絶たれてしまった。  

トレーニングノートに体重を記録したので、ここからは私の体重変化をともに記していこうと思う。条件を一定にするために体重は 起床直後にはかった。トレーニングは@胸、肩、三頭A脚B背中、二頭C腹筋、カーフの4分割で、朝早く、毎日やった。苦肉の策である。
9月1日72.0キロ 
9月2日71.2キロ・昼に荷物を持って階段を上下する肉体労働のバイトを1時間。トレーニングは夜に。
9月3日70.3キロ 
9月4日70.2キロ 
9月5日69.9キロ 
9月6日69.5キロ 
9月7日69.3キロ 
9月8日69.3キロ・体重が変わらず焦る。昼に肉体労働のバイト1時間。
9月9日69.0キロ・少し安心する。バイトが功を奏したようだ。
9月10日68.9キロ 
9月11日68.8キロ 
9月12日68.7キロ
この日に岡田さんに同行して、ジムに勉強しに行くことになった。そのジムの名はMr.U.GYM。 岡田さんの紹介で、なんと杉田会長がご指導してくださるという幸運に恵まれるのであった。常ににこやかな表情であることと、 60歳を超えているにも関わらず、一応バルク系であるはずの私など比較にもならないほど凄まじく太い上腕が印象的であった。 (後にカーフも凄まじく太いことを知ることになる。)紹介の際に岡田さんが「とにかく練習熱心やから、よろしくたのむわ」 という、何気なくおっしゃった一言がうれしかった。この日、大会参加登録をする。
9月13日69.2キロ 
前日の睡眠時間が短かったため水がたまったようだ。この日勉強のためにMr.京都&関西を見に行く。 とにかく「デカイ!」という感想をいだく。プロテインを持ってくるのを忘れたため、絶食状態による筋量減少が嫌だったので、 仕方なく昼を吉野家で豚丼小+半熟卵というジャンキーなものにしてしまう。その夜、田中洋一OBからメールが。そのなかに 「Mr.京都&関西の大会会場で見かけましたが、とても大会に出るようなコンディションではありません。 大会までに62キロまで減らすように」といったような感じのキツイご指摘が。もっと早く言ってください… 豚丼食ってしまったじゃないですか…この日からトレーニング後に40分の自転車こぎかウォーキングを追加。 さらに夜にも40分の有酸素運動を加えた。小動き(いわゆるNEAT)をもの凄く増やした。筋量を落としたくないのでBCAAの消費量が増えた 。食事内容まで常に厳密なストリクトフォームになった。さらに今立OBから頂いた越本OB式減量法をミックスさせたまさに減量の総力 戦となった。
9月14日68.4キロ
9月15日68.2キロ 
この日大会経験者の佐藤OBにポージングのご指導をしていただく。「脚が抜けている、広背が広がっていない」など、 あきらかに初心者が受けるようなご指摘だらけであった。帰宅後、DVD「ポージング入門」をフル回転させることになる。
9月16日68.0キロ 
9月17日67.8キロ 
9月18日67.4キロ・この日から21日まで弟が遊びに来る。あんまりきつい減量を見せて心配をかけるのがいやだったので、 維持を目標にする。
9月19日67.2キロ・伏見稲荷を歩く。頂上まで上った後、東福寺へと行く。時間にして2時間ほど。
9月20日67.2キロ 
9月21日67.0キロ
弟が王将で餃子とから揚げとチャーハンのセットを食べている横で私が食べたのは豚キムチ。しかも豚肉は 大半を弟にやった。しかし、減量方法がうまくいっているのか、食欲が暴発しそうになることは無く、少しで十分腹が膨れた。弟が帰ってから 再びストリクトな減量が始まる。
9月22日66.1キロ
この日杉田会長にポージングのご指導をしていただいた。DVDではわからない細かいところまで丁寧に 教えてくださった。腹を中心に弱点だらけにもかかわらず、会長は私のいいところを見つけ出してはほめてくださった。
9月23日65.7キロ
9月24日64.9キロ 
9月25日64.6キロ・体重減少速度があまりに速いのでSSサイズの麦ご飯でカーボを入れることにする。
9月26日64.9キロ
この日は府立大学から来ていただいた青井OBにポージングの指導をしていただく。だいぶ進歩したように思えるが、 広背を広げる技術との戦いは困難を極めるのであった・・・。
9月27日64.9キロ 
ジムにてポージング。会長が直筆でフリーポーズを描いてくださった。私のような初心者の若僧に… 本当にありがたいことである。大会までジムに行けるのはこの日が最後だったので念入りに指導をしていただいた。
9月28日64,6キロ 
9月29日64.6キロ 
9月30日64.6キロ
10月1日64.6キロ・停滞してしまったのでこの日スクワットを念入りに行う。
10月2日64.2キロ
10月3日64,2キロ
この日阪南大学で宿泊する。カーボアップとして軽い気持ちで食べたかつおのおにぎり(スーパーで99円)がただひたすらうまかった。 今まで食べてきたはるかに贅沢なものよりもうまかった…

10月4日当日。緊張しすぎていて情けないことに4時間しか寝られなかった。仕方ないので外をうろうろしたり、軽く甘いものを食べ たりして時間をすごした。  さて前置きがとても長くなってしまったが、ここから大会の様子をレポートする。 参加人数は8人。岡山大学から4人、阪南大学から2人、関西外大から1人、そして私である。素人目にだが目立っていたのは腕 を中心にバルクとコンディションのバランスが良い西中選手、日焼けや絞込みから一目でこの大会への意気込みがわかる山根選手であった。     初めての大会でおろおろしながらも肩、四頭、胸、背中中心にパンプアップを行った。比較ポーズでは最初と最後の2回だけ呼ばれ、とも に比較されたのが前に挙げた注目選手だったので、これは上位を狙える…と思った。はじめは学連の理事として 同行した小林君の声援がなんとか聞こえるだけだったが、途中で他大学の声援をぶち破る松田さんの声援が心強かった。部分賞審 査で腹の部だけは残れなかった。10ヶ月で24キロという体重減少に、腹の皮はついていくことはできなかったのだろう。それを察してか心強い二人の応援 団も腹部門では声援を出せなかった。しかし、手ごたえを得て午後のフリーポーズに臨めるのであった。  昼ごはんを食べていると、研究室の先輩方の姿が。ありがたいことに応援に来てくださったのであった。 「デカかった、良かったよ。」という励ましに勇気付けられた。  フリーポーズの前に山根選手と話す機会があった。彼も苦しい中ぎりぎりまで絞ったこと、体に負担になるとわかりながらも真っ黒 になるまで焼いたことなどがわかった。懸命になってのは自分だけではない、ということを痛感した。  フリーポーズを終えた後、トイレに行くと巨大なバルクとニアミスした。ミスター関西の増田卓 也さんであった。衝撃のあまり数秒固まることとなったのであった。ミ スター関西時で170センチ77キロだというデータだったが、近くで見ると衝撃的だった。しかしゲストポーズで観客席に降 りてきたところを松田さんは臆せず至近距離で写真を取りまくるのであった。  ポーズダウンでは混乱していたためかサイドチェスト、サイドトライセプス、マスキュ ラーしか取れなかった気がする。そして優勝がわかった瞬間、号泣してしまった。それまでの苦労のせいか、それ ともお世話になった方々のありがたさに感じ入ったためか、泣きたくなったのだろう。結果としては胸、背中、腕、モス トマスキュラー賞を獲得したものの、もし山根選手がもう少しバルクを残せていれば、西中 選手に日焼けやポージングなどのアドバイスができる人が近くにいれば、と思えば差はわずかでしかなかったと思う。

 今回の大会で数多くのことを学んだように思える。ケガやいざこざなど、嫌なことがある と「自分はこんなに努力しているのに、なんで結果がついてこないんだ、なんで運がないんだ」、と思ってしまう。しかしそれは傲慢 な考えであることに気づいた。 まず必死になってがんばっているのは自分だけでないしことが大会を通じてわかった。ボディビルの大会はより具体 的にそれを感じられた。もちろんパワーの選手もそうなのだ。(例えば、自分の大学には設備がないから自転車で1時間 半かけて他大学へ練習に行く選手もいた。) なんら実績のない私から長所を見出し、大会に参加するきっかけを作ってくださった岡田主将、欠点だらけの私か ら良いところを見つけ、引き出せるよう指導してくださった杉田会長、マイナースポーツであるにもかかわら ず応援してくださった研究室の皆様、ご指導ご声援をくださったバーベル部の皆様、またパワーリフタ −時代に助言していただいた皆様―近くに感謝すべき人がこんなにいる幸運を忘れ、不運だと嘆いてしま った傲慢さを思い知った。また、所属した研究室が脂肪代謝の研究をしていたのも幸運だった。 これからは心をいれかえて真摯に努力していきたいと思う。

(文責)黒川直樹